読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

個人的な考えと思い込み

2016年の12月28日からスタートしたブログ。思い込みと感想を交えているため読みにくい記事ばかりですがお付き合いくださいませ。

他人を褒めるのは駄目なのか

他人を褒めることに対して嫌悪感を抱く人や、他人から褒められることに対して裏があると思う人がいるらしい。

褒められることで、好意があるのかと勘違いする人もいるらしい。

褒める=相手が好き

という考えを持つ人はいるようだけど、それは極論だ。

好意がなくても、人は褒められるものだろう。

何故なら、褒めるという行為は承認欲求を刺激させることにより、相手を伸ばす効果があるし、言った方の人間も人のいいところを認めるのは心地良いため、双方にメリットがあるはずだからだ。

また、嫌いな相手でも少しは褒めていれば、嫌いな相手にもプラスがあると受け入れることができるため嫌いすぎて殺したくなることも少なくなる。無駄な殺意を減らすことが可能だ。

私は人のいいところを褒めて、その人の素晴らしいところを伸ばしてほしいと思い、他人の良いところを言っていたことがある。

それは押し付けがましい思いなのかもしれない。そして、相手にプレッシャーを与えるのかもしれない。

別に自分勝手な期待を押し付ける意味で褒めたくはない。

ただ、褒める理由としては、相手が少しでも志に向かう途中で褒められたことがあるということで、少しは自分が成長してることを理解できますようにと。

あなたは現状で停滞してるわけではないよと、誰かが褒めることがないと心が腐ってしまうだろうから。

でも、少しの良かったことを良かったといえる心がなくなったら、それは思いやりの心がなくなる気がして、それは怖いように感じる。

認めることは思いやりの1つではないのだろうか。

ただ、褒めることで何かしら勘違いされるから駄目らしい。

気が狂っている男の人は、褒められただけで付き合っているのだと勘違いするようだし、ストーカーするようだし。

工学系はそういう人が多い。

だから私は周りの人から傷つかないようにという願いから「人を褒めるのはやめろ」と言われているのだろう。

至極真っ当だろう。問題が起こる前に、問題を未然に防いでいる。

ただ、褒めるということをそれでやめなければならないのは悲しくなってしまうのだ。友人たちや彼氏には悪いが、それは本当の意味で正しさを持っているとは思えない。

褒めるということは、相手の行いで良いところを認めるというだけの行為ではないか?

アメリカではお互いを認め合い、尊重することや褒めることで高め合うのが当たり前のように行われているからこその個人主義が働いているのだと聞いた。

アメリカは腐ってもアメリカで、個人を尊重できるからこそ、本物の人と言えるくらいすごい人が表れ続けているように感じる。

日本はどうだろう。個性があれば潰す傾向にあるように感じる。

他人を尊重する姿勢もない人が尊重されるのだろうか。褒めることのできない人間が、褒められたり、評価されたりするのだろうか。

褒めることをせず、けなすことばかりする人が多いように感じるが、それは良いことなのだろうか。

悪い評価だけはしていいが、いい評価はするなということか?

本当は褒めたい。すごい人は凄いと認めているし、かなり尊敬しているが、尊敬の念を持っているのをみるだけで、何故か敵対心を持ってくる輩もいる。

私はそうやって意味もなく、変な感情を抱かれたり、疑われたりすると思ったら、人と話すことをやめようと思えた。

人と話すくらいなら、少しの人とだけ話していたい。

でもたまに、その少しの人からも「人のことを褒めるのは辞めた方がいい」と言われると、私は人のことを話さなくていいと思ってしまった。

褒めることで人に色々と思われるなら、誰にも褒められなくなりそうで怖い。それは私の子どもができた際に、一番可哀想なことだと思う。

広告を非表示にする