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個人的な考えと思い込み

2016年の12月28日からスタートしたブログ。思い込みと感想を交えているため読みにくい記事ばかりですがお付き合いくださいませ。

悲しさがある

どんなに聡明な人でも、上辺だけで騙されることがあるようだ。

純粋な人は見た限りの姿しか見られていないから、汚いところを伝えたとしても傷つくのを眺めるしかないのかもしれない。

私の言葉は主観なのだから、自分の目で見た本物を信じるというスタンスだろうから。そういう自分の目を信じる心はすごく尊敬するし、彼らの優しいところだと思う。

その特性をを、悪用した形で使う人もいる。優しい人を傷つけたり、利用するためのものとして使う人がいる。

そのたびに、傷つくさまを見るしかないのか…

それがたまらなく辛い。

私は彼らには警告しかできないし、私は心を守ることすらできないようだ。

私は無力なのだろう。

彼らを助けることができない、願うことしかできない。それがたまらなくつらい。

汚い心の人からの攻撃で傷つきすぎて、ひどい心の人は目に見えるようになってきた。

感性が、警告してくるの。これはやばいということを。

上辺で人を操ろうとしたり、崇めさせようとしたりする(そういうやつに限って本質的に頭の悪い)輩が、私の尊敬している相手に付け入っていたり、上辺だけのもので判断してたりするのを見るとかなり悲しい。

その上辺だけで優しくしてきている、汚い心の相手に「この人は優しいな」と思う、清らかな人を見ていて止めたくなる。

でもそれは余計なお世話なのだ。

彼らの見る目をないというような、そんな彼らの自尊心を傷つけた挙句、自由な関係を他人である私が束縛しているのはよくないのだ。

これはある意味でいう嫉妬なのだろうか…
(純粋に彼らのような汚い心の人が、きれいな心の人を汚くしようとしている姿を見るとすごく悲しいのだけど…)

神聖なものを汚い手でぶち壊された気分になる。お願い、お願いだからこの汚い世界で珍しい綺麗な心の人たちを汚く染めないで…

私のことを傷つけてもいいから、貴重な心の清らかな人だけは傷つけないでと思っている。

見るのがとても耐えられない。耐えきれなくなると、心の汚い人に対して殺意まで出てきてしまう。

神聖な領域だけは汚さないで…

某人が、○○のやつとつるんでるオレつえーをしていたからさ。

俺つえーの道具に、神聖な領域だけは使わないでとも言えないくらいには、神聖さは終わりを迎えていた。

某人は、おそらく自分を強く見せたいがための自慢の道具として○○に参加したいのだろうけど、○○は汚い心や自慢話のための向上心を認めるところなのだろうか。

頼むから、聡明な審査員方が人の本質を見極めて欲しい。

○○だけはそうでないと私は信じているが、言葉尻しかわからない世界だと某人が○○に通ることもあるだろうし。

全てにおいて見守ることだけしかできないのはわかっているからこそ、ネットにだけは泣き言をかけてありがたかった。

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