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個人的な考えと思い込み

2016年の12月28日からスタートしたブログ。思い込みと感想を交えているため読みにくい記事ばかりですがお付き合いくださいませ。

私と論語

私は人生がつらくなるとたびたび論語を読んでいるように感じる。

 

私が彼氏と付き合う前に、本当に毎日死にたくなっていたとき、論語に出会った。論語は正論ばかり書いていて、時折辛辣な言葉で苦しくなることが多いけれど、正論を言われると自分の生き方をどうしていこうか定まる気がして、それで論語は結構好きだった。

 

そして、論語の精神をきちんと遂行しようと思うまま、いろんなことに挑戦していたときは、いろいろと物事の本質を見極めようと頑張っていたように感じる。

 

8月下旬からメモだけだと面倒くさいと思いはじめ、論語の本を購入した。

 

9月くらいまで論語を読み続けて生活していたのだけど、10月からとある理由で薬を飲み始めて、副作用で苦しんでいたら、読む機会がどんどんと減っていき、11月くらいから読まなくなっていった。

 

11月下旬から「彼氏を幸せにしたいから、そろそろ論語の精神を取り戻したい」と思ったのだが、論語がどこかへ消えていった。部屋を探しても見つからない。

 

ずっと探し続けていたのだけれど、とうとう見つからなかった。

 

そして昨日、いろいろと彼氏に八つ当たりをしてしまったり、私の弟と母から「あなたには釣り合わない」という発言を受けて、すごく危機感を覚えた。

 

 

私「確かに、私と彼氏さんは釣り合わないのは事実。そして、最近は彼氏さんに迷惑ばかりかけ続けてしまっている・・・このままではいけない・・・このままでは・・・本気でこの精神を変えないと愛想を尽かされても仕方がないだろう・・・・」

 

 

そうして、久しぶりに本ではなくメモでもいいから論語の言葉を見ようと実行した。そして、実行したら論語が帰ってきたのだ。大学にあったらしい。

 

 

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その時にふと思ったことがある。

 

論語って読む精神にない時には私の前から姿を消すのではないかという感じだ。論語が私に精神を悪用されまいと行方をくらませたのではないかと。論語を読みたいと本気で思ったときに、本は帰ってきたのかなと思った。

 

古代中国の素晴らしい思想は、純粋な気持ちで勉強しないと身につかないと古代中国思想史の本に書いていたように思う。私はその意見に賛同する。

 

論語などの素晴らしい思想を逆手にとって動く人も現れるだろうし、悪用したとらえ方をする人も現れる。

 

要は、賢人の知恵を自分の思う通りにしようとする心を持っている人が出てきてもおかしくないと思った。

 

論語を学んで一番こころから思ったことは「本当に頭のいい人は学歴ではないし、学力でもなくて、意識しなくてもまっすぐなことをできる人なのではないかな」ということだ。

 

愚かだからこそ、まっすぐなことができず、道理にそれないことばかりしてしまうのだと思う。道理とは、昔からの賢人の知恵が凝縮されているように感じる。

 

本当に一流の人ほど、論語的行動をしているのはどこぞの全国大会へ末席ながら参加した時に痛感した。

 

たぶん、その所をきちんとしないといけないのかなと改めて思う機会となった。

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